いらっしゃい、店長ですみません。

2018年5月5日より新高円寺にオープンした水道橋博士のお店「はかせのみせ」の店長日記。

季節の贈りもも

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毎年この時期に山梨のNさんからももなど果物が贈られてきます。今年も桃を贈って頂きました。本当にありがとうございます。

さて、最近巷で話題のももの皮の剥き方ってあるじゃないですか、あの湯にくぐらせて直ぐに氷水につけると、つるんとなるやつ。あれまだ試した事ないので今度試してみようかなと思ってます。

桃といえば桃太郎を直ぐに思い出しますが、なぜ、桃であったのか、柿や、みかん、スイカでなく、桃であったのか。不思議ですよね。そう思ってググってみたら、思わぬ事実が分かりました!と書いてる時点ではまだググってないんですけどね。ここからはググる前の、桃である必要性の予想というか、妄想を書いていこうと思います。

なぜ桃太郎は、桃である必要があったのか。これは桃という果物のセクシーさに由縁するのではなかろうか。つまり、桃尻や、桃=太ももといったように、駄洒落的観点からも他の果物や、そもそも果物である必要性も無いので、野菜や、石や、流木などの無機物も含めて考えなければなりません。

まず物語の性質上、川を流れて来なければならないと言う大前提から、石や、水に浮かないモノ、液体はこの段階で排除しなければなりません。石は川で流されてやがて砂になりますが、川で洗濯が出来る状況から濁流では無いので、やはり石は排除されます。液体はお婆さんが拾うことが困難なためこれも排除されます。流木に至っては、川上から流木が流れてきた所で、拾うことが無いのでこれも排除されます。

こうなると残された可能性は、数多ある野菜や、他の果物になります。1つ1つ考察するには時間もかかるので代表的で、可能性があったであろうモノの考察に留めたいとおもいます。いの一番に考えられるのは何と言ってもスイカではないでしょうか。スイカなら、上流で冷やしていたのに流れてしまったということも容易に想像がつかつきます。しかも何かの卵にも思えるその風貌は、桃と最後までせっていたのではなかろうか。しかしやはりその見た目が、中から悪魔が生まれるのならスイカでも良かったが、鬼退治するヒーローが出て来なければならない為、この観点からスイカでは生まれた子がのちに鬼を退治する事が、妖怪大戦争のような、妖怪対妖怪、悪魔対悪魔のような魔回転性的なストーリーしか想像できなくなる為、子供の夢をのせた物語にはなりにくかった為に排除されたのではなかろうか。

ちなみにデイリーポータルZ天久聖一さんがやっている「書き出し小説大賞」に、ニュアンスを変えつつ何度も投稿しても採用されていない書き出し小説の中に、以下のものがあります。

 

少女がその大切そうに抱えてる悪魔の卵を落とすと、割れたそれは赤く、所々黒い粒が伺えた。人類が初めて味わう夏だった。

 

ね、やっぱりスイカだと悪魔的な事を想像しちゃうよね。話がそれましたが、桃太郎はなぜ桃である必要があったかの考察に戻ります。

冬瓜や、みかん(夏みかんや八朔を除く)などの冬の野菜や果物は、寒い冬に川へ洗濯へ行くと、川が凍ってないの?とか、寒そうで辛そうなどと物語の筋とは関係のないところが気になってしまう為選考から外されたと思います。

残されたのは夏野菜、キュウリやナス、トマトです。キュウリ(ヘチマも可)は桃が女性的なイメージであるのに対し、男性的なイメージがあると思います。キュウリから桃太郎(便宜上桃太郎と表記しています)が生まれてきても別に問題は無いように思いますが、どこかひ弱なイメージがありませんか?それは細いからだと思います。ではナスであった場合はどうでしょうか。ナスも丸々とした丸ナスで有れば何も問題無いように思いますが、問題は有るのです!それは色です。紫色してるナスから出てくる子が、健康的なイメージは抱きにくい。のちに鬼を退治しなくちゃならない桃太郎が、紫色しててはあまりにも不健康に映るためこれも却下。

では残すトマトならと思いますが、当時日本にトマトが無かった為これまた却下。おまけに、トマトから生まれた桃太郎が、潰されてケチャップ!と罵られては丸でパルプフィクションジョークと同じになってしまいます。

以上のような理由から、女性的でセクシーな桃から生まれた桃太郎が1番しっくりきたんだろうなとおもいます。

もう本当の理由をググるのめんどくさくなったので、これでいでしょ。

とは言えググったら、この説も一理あったのね。チャンチャン(ビートたけしさんのテレビじゃ言えない風)

 

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