いらっしゃい、店長ですみません。

2018年5月5日より新高円寺にオープンした水道橋博士のお店「はかせのみせ」の店長日記。

それはみんな歌にしてるしネタにしてる

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だいたいの事は歌になってるし、ネタにもなってるもんで、これから何か全く新しいことってのはかなりの網目を縫って出てこなくちゃいけないから相当大変なんだけど、これまで出し尽くされたというか、相当言われてきたことも訳し方の違いであったり、新解釈という切り口であったりすれば、新しいこととして受け取られるわけで。要は言いようというかね、ま言う人にもよるというか。なんしか既に出ているモノが多すぎて、全く新しいモノは中々無い世の中で、それでも何かを生み出そうとする事がクリエイティブだとは思うんだけれど。

 これはどの世界でも言えることだと思うんだけれど、時代と共にその網目は細かくなる一方だと思うんですよね。医者と患者のコントを見た別のコンビが、じゃ、教師と生徒やろうとか、その二つを見たまたある別のコンビは生徒と生徒をやりだしたり。最初は対立構造であればネタになると目を付けたんだけど、それも出尽すと、今度はその並列状態での違いをネタにしたり。それも出尽すと今度は懐古的に戻ったりする。どう戻るかというと教習所の先生と生徒とか、さらに限定していく。時代と共に網目は細かくなる一方。このまま網目が細かくなったらもう出口は無くなるが、その頃には斬新な切り口で視点を変えてくるコンビが出てきたりする。過去の膨大なネタからどういったものが、どういった切り口がウケるのかを研究して出された答えなのか。

ボクはずっと昔の人という書き方はどうにもアレだけど、昔の人は、ナチュラルに面白い、素質がすでに規格外というか、そういう人ばかりだったんだろうと長年思っていたんだけど、いやいやそういう人だからこそ、たくさん見てきているんだということを方々で耳にした。なにもノートにつけて戦略を練っていた訳ではなく、と言っても紳助さんはそうしていたそうですが、ノートにつけるまでもなく、体に染み込ませて体感的にそう動いていたのではないのかなと、またそういうことが自然にできていたからこそ名を残しているんだろうと。

お笑い芸人に限らず、これは歌の世界でも同じ事が言える。中には楽曲を分解するように、どんなコードが使われているのか等、音楽をヒット曲を理論的気に分析してヒット曲を生み出していたのかもしれないけれど、昔の人ほど、それを自然に、たくさん聴く事によって自然と身についていたんじゃないだろうかと思うんです。というかそう思いたいという思いが強いですが。

大好きな清志郎さんとチャボさんなんかはその典型的な例だと思ってて、おそらく彼らはビートルズや、オーティスの楽曲を分解して研究してノートに付けるような事はしていなかったと思いたい。してたとしてもメモというか、その程度で、聴いて体に染み込ませてたと思うんです。ヒャダインさんとかつんく。さん、小室さんなどはノートに付けて研究してて欲しいし、おそらくしてると思うんだけど。

ライブの最後に盛り上がるような、こんな曲つくろうぜといってできた雨上がりの夜空にであるとか、歌詞にRCサクセションと入れて歌おうぜと出来たチャボと清志郎の最後の合作激しい雨とか、ノートみながら隙間を縫って出した曲だとは思わないもん。体が勝手に、手が勝手にそのコード押さえてたから出来たって感じがするもんな。

ま、願望が半分ありますが、昔の人は、まだ網目が大きな時代であったから、それほどビッシリノートにつけなくても網の間はすり抜けていたんだと。ところが今の人は昔に比べてビッチリ網目の細かい世界になってしまったもんだから、体感的にこれ新しいんじゃね?と思ってみたところで、すでにでている、作った時は被ったと気付きにくい状況というのもあって、ノートをつけざるを得ない社会的状況というのもあるとは思うんです。

しかしそういう時代であっても定番はやっぱり強いんです。3コードの単純な曲でもカッコいいのは山ほどあるし、ブルースなんてその限られな中で進化してるんだからそうとうなもんですよ。漫才のネタにしてもコントのネタにしても定番あってこそで、踏まえてどこまで飛躍するかってのもあるから。ダチョウ倶楽部がずっと熱湯風呂に入っているのもやはり定番は強いからで、新喜劇が毎週土曜日のお昼に(関西)放送されているのも定番が強いからで。しかし新喜劇なんかもやれベタだ、定番だと言われてても今のを見るとちゃんとその定番の枠組みの中でも新しい事をしてるんだよね。

一番いけないと思うのは、あぁ、そのパターンか。とそこで思考停止してしまう事だと思う。咀嚼する前に、食わず嫌いをしてしまう事の方が新しい芽を摘むというか、気付かずにスルーしてしまう行動ほど悲しいものはない。入り口はあぁそのパターンかと思ってもちゃんと見たらなんて斬新なことしてんだ!と驚くこともあるから、やっぱり、ノートつけるにしてもそれはちゃんと見なくちゃいけないし、ちゃんと見るというのはそういうことなんだと。それはノートに付けなくても体が覚えるわけだから。

と、ドキュメンタルのシーズン2まで見て思いました。いや〜スゴイね、ドキュメンタル。無茶苦茶だよ。ここ最近は寝る間際にドキュメンタルを見ながら、終わったら、談志さんの落語を見ながら寝落ちの毎日です。

 

 

 刑事ゆがみ

タイムスリップの解明

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よく金曜日なんかに「あれ?今日、日曜日だと思った!」とか、「あ、まだ金曜日か!」なんて曜日の感覚が狂ってしまう事ってあると思います。吟じてませんが。こういった出来事はなぜ起こるのかボクは知っているんですが、あまり知られていない事実だと思うのでここに書いておこうと思います。(あまり人に言わない方が身のためですが)

答えはすでにタイトルにもあるように、ボクはこれはタイムスリップによって起こった、心と体の時間的感覚の差異から生まれる勘違いだと思ってるんです。この事を説明するとデジャブも納得がいくんです。どういう事かと言うと、身体的な疲労の感覚で、曜日、つまり日にち、時間をを超えてしまう、間違えてしまうという事です。例えば歩いた記憶は無いが、体の疲労の程度で歩いていた感覚になってしまって、曜日をまたいでしまった感覚になると。逆に体の疲労が思ってたより少ないがため、時間の経過が無いものと勘違いしてしまうと、「まだ金曜日か」となるんじゃないかと。

身体的な疲労があるにもかかわらず、時間は進んでおらず、おまけにその時の記憶もない。これは間違いなくタイムスリップして時が戻ってしまっている。つまり体は覚えているが、心が覚えていないという状態はこうしたタイムスリップによってもたらされています。そしてその覚えていなかった事をもう一度体験する時に、あれ?これ体験した事がある?というデジャブを引き起こしているのです。

しかしこのタイムスリップやタイムトラベルには厳しいタイムパトロールの監視の目が光っているので、基本的には記憶は消されています。これによって、疲れなどの記憶も消されるハズですが、まれに身体的な疲労の記憶が残ったまま戻されてしまう時に、この「あれ?今日、日曜日だと思った!」という事になるのです。

ここで疑問に思うのはタイムスリップがどのようにして起きるのか、また行われているかだが、これは先にも述べたように、タイムトラベルには厳しいタイムパトロールの監視の目が光っているため、詳細をここに書き記す事は許されない。たとえ閲覧数が数人でも。そもそもタイムトラベル法によってそんな事を書き記そうもんなら、永遠にタイムトンネルに閉じ込められてしまう。ま、基本的にその記憶は完全に消されているので、覚えているハズもないんですが。

さてここでもう一つ疑問に思うのが、その監視の目とは一体なんだ?ということだと思われると思います。そうです、一体誰が、いや何に監視されているのかみなさん疑問に思ったことでしょう。それはとても身近にある、いや居るモノなんです。みなさんもごく身近に感じていたり、中には飼われている方も多いと思いますが、それはネコです。ネコがそのタイムパトロールの監視の目をしているんです。犬じゃないんです、ネコです。昔は犬もその監視の目の役割をしていたと聞きますが、近年はほぼネコの独壇場だと聞きました。昔は野良犬もあちこちに居たのを40代の方なら身に覚えがあることでしょう。しかし近年野良犬の数は激減というよりほぼ見かけなくなっていませんか?そうです、ずっとタイムパトロールをしていた犬ですが、その役目をネコに奪われたため、野良で生活する必要がなくなったのです。現在はネコがこのタイムパトロールの監視をしています。余談ですが、♪暗い中でもネコの目は光る〜♪とあの忌野清志郎さんも歌っていました。街中でも部屋の中でのどこでも監視しているのです。一説には現世で徳の高い行いを続けていると来世ではネコになれると言われています。というかボクが言っているんですが。なぜエサを貰って寝ているだけで許されるんだろうって思ったこともあるでしょう。それは前世でとても徳の高い行いをしていたからネコに生まれ変わってちやほやされたり、エサを貰って寝てるだけでいい生活が出来るのです。悟りの境地とはつまりネコに生まれ変わるという事なんです。

 

Memphis

Memphis

 

 

少々話がそれてしまいましたが、しかしこれらのネコの行動は人の目に見える行動であって、本当はこのタイムパトロールの監視をしているのです。どんなに寝息を立てていても、物音一つで起き出してすぐに行動が出来るネコにしかこのタイムパトロールは務まりません。もちろんこれほどまで人間社会に溶け込んで密に接していられる動物は、役目を終えた犬を除くとネコか小鳥以外に居ません。小鳥もなんらかの使命を受けて人を監視しているに違いはありませんが、その監視の対象はタイムトラベルではないとボクは思っています。それは最大の弱点、鳥目です。暗い中で目が見えない、これは人を監視するに余りにも不適合ではあると思いませんか。だからタイムパトロールはネコにしか務まらないのです。

おそらくここまで知ってしまったボクはもうネコに取り込まれてしまっているので、これからは人の見方をするというよりもネコの見方につく事になるでしょう。そうです、近い未来、ネコとヒトとの全面戦争が起こる未来もあるのです。これはまだネコに消されていないボクの記憶なんですが、見てしまったんです、ネコとヒトとの全面戦争を!しかしこの記憶が消されていない事を踏まえるとおそらくこれはボクの見た夢でしょうけどね、ちゃんちゃん(って夢オチか〜い)

ま、夢はバクが食べてくれるんだけどね。その話はまた今度(書く気はないけど)


猫の手も借りたいから借りた結果 お米をとぐ猫

 

 

パ紋

パ紋

 

 

正義の定義

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何を持ってして正義とするか。一方では正義も、他方では悪とされる事も有る。過剰になり過ぎてるクレームも正義の名の下行われているものも、無いものも含めて。そもそも何を持ってして正義とするかで議論は平行線を辿る事にもなりかねない。いやその繰り返しなんだろうけど。

明確に、誰しもがという事はもはや定義できないのは歴史が証明しているが、クレームや文句を言う前に自分がされたらどう思うかを少し考えれば、言い方も変わるだろうし、グっと飲み込む事もあるだろうし。同じ事でも伝え方で随分印象が変わるもんですよ。「好きじゃない」と言うのと、「嫌いじゃない」というのと。あれ?あんまり印象変わらんね。

ボクの中での正義とは「おもしろ」でしかない。結果面白ければいい。笑って済まされるからである。それ以上でも以下でもない。ただこの判断基準が人それぞれで主観的すぎるため、ボクの正義は笑えない悪となる事もある。それはボクの正義もそうだけれど、人の正義もそうである。

保毛尾田保毛男」問題もまさに笑えない正義がもたらした事件だと思う。ボクはぜんぜん笑ってたし、ただこのご時世大丈夫なのか?と思ってしまう事がとても窮屈な気がしていました。案の定笑って済まされない人が多く?居たということなんだけど。マイノリティのマジョリティはマイノリティなハズなんだけど声はデカイのか、マイナスかけるマイナスでプラスになって多数派の意見として取り上げられたのか。面白く思わない人も、面白いと思った人も正義で、正義はどちらにもあるから平行線な訳だけど。卑屈になって考えるより、単に笑ってすめばそれでいいのに、笑い飛ばしてしまう程の度量を持ち得ない自分をもっと磨くべきではないかと思ってみたり。

 

 

だって一歩外へ出れば、一歩電波のない世界に飛び出せば世間の声は助けてはくれない。電波の届かない山で登山をしてたとしよう。海でもいい。遭難したとする。さてどうしますか?世間の声は聞こえませんし、声を届ける電波もない。ボクはその状況を楽しむために、のちに笑い話にするためにどうしたら面白くなるかしか考えないと思う。きっとそうでも考えないと直ぐにメンタルがやられてしまうだろうから。運良く助けられた時に、笑い話として語れる方が強い。それは助かるために色々試して、例えば狼煙を上げようと火を起こしてたら山火事になって消防士に助けられたとか、川を下れば海に出ると思って海に出て海で遭難して漁船に助けられたとか。何かしらの努力はするけれど、結果笑い話でその辛い体験を語らるほど強いものはない。

世間の声で甘やかした社会を作ってどうするんだと思うよホント。社会や会社なんて競争社会なんだから差別に溢れてて当然じゃないか。痛みのわからない人が暴れると限度がわからずに死に至なんてことになる。心に痛みを持っていればこそ、人に優しくなれるんじゃないか。自分がされたら、言われたら嫌な事を分かっていないと人を傷つけても気がつかないままって事にもなりかねない。擁護とか容認とかそういう話ではなく、生きるという事はそういう事だと。

それにしてもここまで「保毛尾田保毛男」問題でLGBTが取り糺されているのに、なぜレディースデイ問題をもっと取り上げないんだろうか。そもそもレディースデイってのは男より稼ぎが少ないから割引してあげるねという、男女雇用均等法以前の名残なんじゃないのか!逆差別されている事になぜ気づかない!気づいていても割引が無くなると損だから声を上げないだけじゃないのか!でLGBTの人らは見た目が女性的であればレディースデイの恩恵を受けるだろうが、保毛尾田保毛男の様な容姿の見た目は男で心は女は恩恵を受けれない。(受けられるトコもあるのか知りませんが)とにかく明らかに逆差別されているの声を上げないんだったら、保毛尾田保毛男問題も声を上げるんじゃないよ。

それから、乙武さんはチビ、デブ、ハゲはOKとされてると言ってたけど、それで傷ついている人もいるからね。ボクは気にしてないだけだけど。子供の頃は気にしてたけど、気にしたってどうしようもないし、じゃ、笑いに変えればいいんだと思う様になったのもマイノリティであったからこそだと思うだけどね。しかしこのマジョリティかマイノリティかってのもある事柄ではマジョリティだけれど、別の頃柄だとマイノリティだったりする訳だから自分も含め他人もそれぞれに抱えてるものもあるのが当然で、多数だからどうだ、少数だからもっと意見を聞け!というのは結果声がデカけりゃいいのかよって結果になりかねないから白黒つけるんじゃなくて、黒っぽい白でも白っぽい黒でも白っぽい白でもそういうグレーゾーンの探り合いがコミュニケーションなんだから、もっとコミュニケーションをとろうよってコミュ障のオレが言うなってな。(あんまり自覚なかったけど、言われてそうなんだって思ったよ)

写真の歯のヤツはドイツの歯磨き粉。もう20年くらい前のだから使えないけど、歯のモチーフ好きなんですよね。なんでかって?面白いからじゃない!

 

五体不満足 完全版 (講談社文庫)

五体不満足 完全版 (講談社文庫)

 

 

今それしてる場合か?

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常に自分にこの問いを突き付けている。正確には突き付けようと心がけているんだけれど。

基本怠け者体質なので、ほっとけば何もしないし、しようとも思わないは言い過ぎだけれど、それくらい根がグータラなんです。やらなくちゃならないというよりも、やらなきゃ気持ちが治んない、その衝動が止まらないからやっているという感覚でモノをこさえてるんだけれども、その衝動が湧かない時のやらなさ加減と言ったら。そんな自分を鼓舞する意味でも常に自分に突き付けている言葉が『今それしてる場合か?』です。

長いこと似たような仕事、締め切りまでに上がればいい仕事をしていると、出来上がり、思いつくまでの時間が読めるようにはなるんだけれど、そうなるとギリギリまでしなかったりで、余裕を持って取り組めばいいんだけど、それができない。つまり衝動が湧かない事が多々あるんです。それがギリギリまでとなるとホント参っちゃうんです。そういう時は、ルーティーンというか、パターン化された自らの行動パターンに当てはめて衝動が湧くように自らを仕向けるわけなんです。五郎丸ポーズじゃないけれど、それはもうルーティーンですよ。根詰めて考えすぎて二進も三進もいかなくなった時に、別の事をあえてして脳をリセットというかリフレッシュするんだけど、全く本来すべき事を忘れて別の事をしているわけでは無く、うっすら心のどこかで考えつつ、別の事をしたり考えたり。そういう事をしている時に『今それしてる場合か?』と問いかける。そうしてあちこち考えを巡らせている時間が、考えている時間になるんだけれど。考える時間と、実作業の時間も考慮しなくちゃいけないので、リアルに『今それしてる場合か?』と切実に問い詰める時もあるんです。だから常に自分に言い聞かせつつ。このブログを書いている時点でも言い聞かせつつ。

ひらめきや、思いつくことに関しては、こればっかりは根詰めれば詰めるほど袋小路に閉じこもりかねないんだけれど、以前何かで読んだか見たダリのエピソードを思い出すんです。

ダリはひらめきが浮かぶのはどんな時かと自己分析して、うたた寝した瞬間、睡眠に落ちる瞬間に思いつく事を知り、スプーンを咥えてうたた寝をして、睡眠に落ちた瞬間に口が緩んでスプーンが落ちた音で起きて、そのひらめきを絵に描き留めてたという逸話を読んだ事があるんですが、こういうパターンがあるのかとボクもどういう時に閃くのかなと思った時に、根詰めて考えたあげく、全く別のことで息抜きした時にフと思いつくなと。でそこに甘えて別のことと称して度を超えた甘えた行動をしてたら本当の意味で『今それしてる場合か?』と自分を叱咤するんです。ま、このダリの逸話すらおそらく半分ホントで半分自己プロデュースというか、自己演出ですよねきっと。だって頭にフランスパン乗せてる人だから、あんなヒゲで。

ひらめきや、思いつくタイミングってのは一瞬だけれど、その一瞬はこれまでの人生経験がもたらした一瞬で、コーヒーのCMでビートたけしさんも「この一杯を作るのに80年と10分かかってるんだ」と言っているように、『今それしてる場合か?』のその時間が活かされる行動であればこそなんですけどね。ただ無駄に時間を過ごしたりするのだけは本当に自ら戒め無くちゃダメだなぁと思います。

 


ワンダ 極 CM 「80年と10分」編 15秒 ビートたけし 劇団ひとり

 

なんでもかんでもボクは衝動的に動くもんだから、本来ならば先にこれしとかなくちゃ案件があるにも関わらず、思いついちゃったから別のことに走るってことが本当に多くて。ただ、そういう衝動もこれまでの経験上まだギリ間に合うというか、それをしてたからこそ本来すべき事にも活きてきたという感じで、なんとかはなってきているから大丈夫なんですが、大丈夫だと思っているのは自分だけだったら恐ろしいよね。そうならないために言い訳じゃないですが、コミュニケーションとして、経過報告はもっと密にしておかなくちゃなぁと常々。だって言わなきゃわかんないことってホントに多いから。ましてや言っても伝わらないこともあるから、伝え無くちゃだよね。

でここ最近本当に『今それしてる場合か?』とリアルに思ったのがメルカリで売り上げたお金でカメラ買ってカワセミ撮りに行ってた事かなぁ。ちゃんと撮れなかったし。でもこれも後々何かに活かされるんだろうなと、とりあえずPhotACにアップしておいたけど。

そう思いながら談志さんの落語を聞いていたら「無駄とは一番肝心だった」と。


カワセミ

 

 

ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」 (講談社+α新書)

ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」 (講談社+α新書)

 

 

変なトコこだわるよね

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♬こだわりなんて捨てちまえ ムダな時間はいらないぜ 何よりそんなの儲からない♬

斉藤和義さんのHello! Everybody!の冒頭の歌詞ですが、これは吉野家のCMソングだったんです。サビでは、♬Hello! Everybody!おなかがすいたろ?♬と吉野家のCMソングらしい歌詞が出てくるんですが、なぜ歌い出しがこうなのかというのは、斉藤和義本の中で語られているんですが、狂牛病の問題でアメリカ産の牛肉が輸入されなくて、あれだけ♬牛丼一筋300年、うまいの安いの美味しいの〜♬と歌われてた吉野家が、その牛肉、牛丼へのこだわりを捨てて、豚丼を出して窮地をしのいだ事を歌詞にしているんです。こだわりなんか捨てちまえ、その道一筋だったけれど、ずっと牛肉にこだわっていたらあの窮地を脱し得なかったと思えばこの詞の意味がとても刺さりますよね。その事を知って以来、ボクも変なこだわりは持たないようにしようと思っています。

春先にずっとロン毛だったボクの変なこだわりを断ち切ってくれたのは水道橋博士さんでした。お手伝いしているザ☆フランス座の打ち合わせ後、中野へ散歩していた帰りに、博士さんが明日収録あるから髪の毛整えようと、1000円カットに入っていかれる時に、あぁボクもこれ切られるんだろうなぁとついて行くと、案の定、バッサリいかれた訳です。1000円カットのおじさんも、20年やってるけど、こんな長さ切った事は無いと。そりゃそうだろう。ポリシーを持ってロン毛にしている人が、断腸の思いで断髪するのに、1000円カットに足を運ばないだろうと断言できる。そんな事があってから、拍車をかけるよかけるようにこだわりは捨てている。こだわりの断捨離だ。

ところがここへ来てこだわりを捨てるというのさえこだわっていやしないかと、こだわりを捨てるインフレが起こりつつある。少しくらい何かこだわりたいなぁと思っている矢先、目に飛び込んで来たのはこだわりの塊みたいな人だった。桑田真澄さんの息子のMattだ!美容中毒と言われるほどに顔面にこだわりまくっている。あの顔を見て以来ずっと何かモヤモヤした気持ちがあった。何に対してボクはモヤモヤしているのだろうかと。それはそこまで顔面にこだわる必要があるのかな?という単純な事だった。モデルという職業柄こだわらずにはいられないのは分かるけど、それでも美容中毒と言われるほどこだわる必要があるのかと、俄然興味が湧いたのを覚えている。そんなに中毒になる程自分の顔面にこだわった事は無かったので、この際、こだわりを捨てすぎて何かにこだわりたかったボクにとって渡りに船とばかりに、顔面にこだわってみようと、今こだわっているんです!何が?どこが?と思われるでしょう、それは、ヒゲです。ヒゲの脱毛です。

オシャレでヒゲを伸ばすのが流行って久しいですが、昔はヒゲなんか生やしてたらそりゃ白い目で見られたもんですよ。無精髭なんて、無精だと烙印されてる訳ですから。ボクも春先まではずっと下唇の下だけ、清志郎さんが伸ばしてたように伸ばしてたんですが、それもすっぱり剃ってしまって以来、ずっとヒゲも剃ってたんです。しかしなかなかヒゲが濃いので剃るのが毎日大変なんですよね。そこで顔面にこだわってるMattさんを見た時に、あ!ヒゲ脱毛したろ!と思っちゃったんです。ピンセットで、チマチマ最初はもみあげの下辺りから、チマチマと。日増しに脱毛の面積を広げてたんですが、ある日一気にあご周りを抜き去ってやったんです。ただしピンセットで抜くだけなので、抜いた次の日はちょっと腫れてたけど、まぁさっぱりした上に、ヒゲ剃りも楽でいいね。まだ鼻の下と、下唇の下は抜いてないけど、そのうち抜くのかなぁ。

と、脱毛にこだわってるんですよ。こだわってるってのも変ですが、あのチマチマした作業が楽しくなっちゃって気がついたら全部抜いてたと言うのがホントなんだけど。

 

で、こだわり捨ててねぇじゃねぇか!って話だよね。それじゃいけないってんで、ずっとこだわってたのがカメラはOLYMPUSってことがあるんですが、フィルムの時代からOM-10を使ってて、あの水木しげるさんも使ってたOLYMPUSL-1ってのも持ってたくらいホントOLYMPUSにこだわってたんです。コンデジのSTYLUS XZ-2という名機も、出た当初のPENも。ホントにOLYMPUSにこだわっていたんです。だから本当はOM-D E-M1もしくはE-M5 Mark IIが欲しいなぁとは思ってたんですが、センサーサイズがAPS-Cクラスがいいなぁ、できたらフルサイズと思ってたので、そうなるとOLYMPUSだと無いんだよなぁ。やっぱりCanonかぁと思ってた時に、ダラダラとメルカリでカメラを見てたんですよ。でも最初はOLYMPUSだったんだけど、この値段なら型落ちのCanon買えるんじゃね?と見たらあの名機7Dも全然安くなってんじゃん!でも今更7Dもねぇだろ、他に手頃なのねぇかなと見つけたのが写真の70Dでした。散々Canonのホームページで比較して検討した結果、これにしたんだけど、今日届きましてね、いや〜いいですよホント。なんで70Dで撮った写真のせねぇんだよって話だよねホント。こだわりなんか捨てちまえだよホント。

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ちなみにメルカリで買ったんだけど、購入代金のほとんどと、今月までの5%オフのクーポンでかなり安く買えたのね。もう物々交換みたいなもんでしたよ、フィギュアとかTシャツ、それこそ300円で売ったスピリッツがカメラになったんで。

先週の週間東洋経済に流通新大陸の覇者「メルカリ&ZOZOTOWN」の特集があったけど、これ読んですぐにメルカリ初めてもなかなか最初は買い手がつかないと思うんですよ、じゃどうやったら売れるかって指南書をnoteにアップしてるんで、ぜひ合わせて読んで欲しいなという宣伝を最後に。

メルカリで発売当日の週刊マンガを300円で売る訳|原田専門家|note(ノート) https://note.mu/haradasenmonka/n/nefe5eca6cb65

 

 

この現象を『蟹の知らせ』と名付けました

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先日行われた千原ジュニアさんのライブ、1P(いちぴー)。行われることは知っていたんですが、というところから話は始まります。

9月に入って落ち着きもなくずっとバタバタしておりまして、あれもこれもどれもそれもと追われるばかりで、これがそのままお金になればいいんですが、なかなかの薄給なもんで、やればやるほど疲れるだけという。まそんな状況であちこちからあれはまだかこれはどうなっているとケツばかり叩かれておりました。おかげでサルのように赤くなっておりますよ。で、その中の一つに、11月1日に行われる、水道橋博士さんのトークショー、ザ☆フランス座のチラシのデザインがありまして、いろいろ考えて考えすぎて何も出来ない状況が続いておりました。なんつってもゲストが高田文夫先生ですから。そこでいろいろググって調べていたんです。過去どんなチラシがあったのかであるとか、どんな番組に出てたであるとか、ラジオでどんな発言をしていたであるとか、まぁネットにある情報だけでもと。(本当にしたかったデザインがあるんですが、ボクの画力が全く追いつかず、できていないバージョンも存在しますが、なんとか形にしたいと思いつつ、これはまた別の機会に。)

そんな感じで高田文夫さんをググってる中の一つに、ラジオビバリーヒルズのゲストに千原ジュニアさんが出てた回を見つけたんです。何の気なしに明け方それを聞くと、あ、あの40歳ライブの時の話だな、あの時も見に行ったなぁなんて思いつつ聞いていました。で、朝はいつもめざましテレビからとくダネ、ノンストップとずっとフジテレビを見ているんですが、この日に限ってなぜかビビットをつけてたんです。そしたらジュニアさんが出てて、あぁなんだかこういう巡り合わせみたいのあるよなぁなんてその時は思ってたんです。いつもトクだねの時間なので、当然火曜日のレギュラーがジュニアさんということは知らずに。で、お昼までしばらく横になって昼過ぎに電話があったので出るとジュニアさんのマネージャーと言うではないですか。えぇ!明け方からこの電話まで何?何?と思いつつも、マネージャーさんはそんなボクの状況を知りませんから、急いで用件を伝えるわけです。はいはいと断る理由もなく引き受けて、その日の夕方に打ち合わせに行くと、いろいろ大変なことになってるので助けてほしいと。結果ほぼ何もすることは無かったんですが、なんだろうこのタイミングでという巡り巡って巡り会うみたいな。これが火曜日の出来事ですよ。イベントは木、金曜日。驚いちゃいましたね。

虫の知らせというと悪い意味で使われるので、この場合を虫の知らせというにはふさわしくないなぁ、こういうのなんて呼べばいいんだろうと電話をいただいた火曜日の時からずっと思ってたんです。引力的な力というか、相互作用というか、引き寄せ力みたいなモノが働いているのか、見えない何かに引き寄せられているんじゃなかろうかとさえ思えてしまうこのタイミング。なにかいいネーミングはないものかと。そういえばジュニアさんSPA!で「大J林」という連載をしてたなぁ名付けてくれないかしらとさえ思いつつ。

で、ボクが1Pを見に行ったのが金曜日だったんですが、その中で詳細はネタバレになるので省きますが、蟹の出てくる話があるんです。これもそこそこのキーポイントなんですが、まぁ出てくるんです。知ってる話だなと思ったのでおそらくSPA!の以前の便所ノートの連載でも書かれてたとは思うんですが、解る虫と書いて蟹というくだりがありまして、それを舞台でみた時に、あ!この知らせは蟹の知らせがピッタりや!と思っただけの話でした。

しかしこの「蟹の知らせ」と勝手に自分で腑に落ちたのは舞台を見終えて、挨拶も終えた帰りの電車だったので、なんで楽屋挨拶の時にこれが言えなかったのかなぁと。

 

 PS.あのネタの原田はボクのことかも聞くのわすれちゃった。

 

さて、昨日22日はそんな感じで千原ジュニアさんのライブを。その前日21日はカンニング竹山さんの放送禁止2017をみていました。このカンニング竹山さんのイベントに行くことになったのもたまたまヤフーニュースでカンニング竹山さんのニュースをリツイートしたら、DMでお知らせを頂き、お言葉に甘えて見に行かせてもらったんですが、こちらは完全に口外禁止ですので内容については何一つ書きませんが、スゴかったですよ、これぞ舞台という感じで。

で、このカンニング竹山さんと、千原ジュニアさんのイベント、冒頭に登場した水道橋博士さんのごく最近のツイートにすごく関わりの深い人物がいるんです。これまた不思議な巡り合わせというか、もしかしたらその人物がそう仕向けているのかもしれませんが、しかしこうも同時に起こり得るのか?とさえ思える不思議なフィクサー的人物がいるということだけをここに記しておきます。しかし不思議だなぁ。

 

「 はなはだ、便所は宇宙である」にはボクのエピソードが載ってるよ!

はなはだ、便所は宇宙である

はなはだ、便所は宇宙である

 

 

名前は短い方がいいよね。菊千代という名のネコ

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ボブという名の猫の映画が公開されているからだとは思うけど、アンビリーバボーでそのドキュメントを見て、もうボブがかわいくて、かわいくて。で、名前は短い方がいいという話を。

ボクが飼ってるネコの名前は、わらび、ももちゃん、タルちゃん(本当はレイちゃん)、菊千代と、亡くなってしまった甚五郎という名前です。ももちゃんというペットの名前は非常に多いそうですね、犬も猫も。ま、肉球がピンク色なので、ももと、とても安易に付けたんですが、皆さんもそうなんでしょう。タルちゃんもふた文字と短い名前。そう、名前は短い方が呼びやすい。わらびは略しようがないので、わらびと呼ぶけれど、菊千代に至っては菊ちゃんと略して読んでいる。短ければ覚えやすくて呼びやすい。これは何もペットの名前に限った話ではなく、あらゆるもののネーミングに言える事だと思います。ボクがやってるパ紋もそうですが、短ければ短いほど覚えやすくインパクトもあると思います。まず、何だろう?ってなるじゃないですか。そこで引っかかりが出来てて、何ですか?となる。つまり興味がひけるということなんです。

 

ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険

ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険

 

 

先日放送された情熱大陸に、「伝え方が9割」の著者でコピーライターの佐々木圭一さんが出てたのを見て、2014年にBS朝日のポップメイカーに出た時に、

「パッと伝わる パーソナルな家紋」

と、パ紋のキャッチコピーを頂いた。流石にプロの言葉だけあって、端的に捉えて分かりやすい。情熱大陸では、数十年ものコピーを考え、自分がこれだと思っているものが選ばれなくても、そう言う観点からこれが選ばれるのかと、まぁ元々それもご自身で考えたコピーでも、納得して受け入れているシーンがありましたが、デザインでも同じことが多々有ります。ボクの場合は、餅は餅屋だろ!と、デザインのプロが良いと思ってるんだから、それが良いに決まってると思いがちなんですが、プロが良いと思うモノ、コトは得てして世間的には伝わりにくい傾向にあるよなぁとも思います。それは通訳が必要になるからだと。専門用語で話されても専門外の人には伝わりにくい。だから訳した言葉、モノ、コトでなければならないからとも思います。そんなことを番組を見て改めて思いました。

 

伝え方が9割

伝え方が9割

 

 

話がだいぶ逸れましたが、キャッチコピーも短い言葉で伝えるという時点で、同じだとは思います。仕事柄番組タイトルのロゴやCGを作ることが多いんですが、昔よくやってた大阪の特番はとにかく番組タイトルで全てを伝えようとしてめちゃくちゃ長いのが多かった。「めざせ鳥取!よしもとカニカニあほ大レース」なんて番組もありましたよ、タイトルだけで番組内容が分かるんだけど、とにかく長い。逆にタイトルだけで分かるから、見なくてもいいかとなりかねない。当然番組の内容は、よしもとの芸人が、様々なレースをしながら鳥取を目指す、優勝者にはカニ料理が食べられるというもの。当たり前だけど番組タイトルのまんま。


めざせ鳥取!よしもとカニカニあほ大レースOP

何だろう?という興味を引く意味でも、ボクは短いタイトル、名前の方が好きだなぁ。しかし視聴対象によってはこの長い、見なくても分かる方が好まれるという事も有るので、一概には言えないから、ややこしい。ってか一概には言えないと言ってしまうと、もう何でもありじゃないかとなりますな。

あと今は簡単にググれるから、有る意味謎な箇所があった方が興味を引くとは思うんだけど、それすらも丁寧じゃないとか言われかねない事態でもあるからつまらないよなぁ。謎があってこそなのにねぇ。この謎があれば検索されて、検索ワードランキングなんかにも反映されるから、2次、3次的に謎が謎を呼びではないですが広がりをみせるから、その方がいいよなぁと思います。これは実体験からで、パ紋で行列のできる法律相談所に出た時に、ヤフーの検索ワードランキングが1位になり、それも話題になってパ紋が一人歩きした経験からなんだけどね。

バンド名や、コンビ名も短い方が覚えやすいと云う意味でも短い方がいいとは思うんだけど、親しみを込めて略されると云う事もあるから、これまた一概には言えない。RCサクセションがRCと略されたり、ハリウッド・ザコシショウがザコシと略されたり。オリエンタルラジオがオリラジと略される中、ダウンタウンは中々略されずにいたんだけれど、DTと略されたりしだしたあたりで、新たな略し方として、頭文字を取ると云う方法が生まれた。そもそもはUSAがあってのことだとは思うけど、こうなるともう短く無くてもDAI語的に略されるようになると、逆に長いネーミングをどう略すのかと言う逆に興味を引くことになってしまうから、もう何だっていいんじゃないかと思っちゃうよね。好みの問題だろと言われたらそれまでなんだけど、それ言うともう何でも有りになっちゃうよなぁ。しかし略して短くするってことは結果短い方がいいんだって事なんだけどね。