いらっしゃい、店長ですみません。

2018年5月5日より新高円寺にオープンした水道橋博士のお店「はかせのみせ」の店長日記。

お休みをいただいております(3月27日 水曜日 晴れ)第328話

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すいようびになると思い出すフレーズがあるのです。40代の方はほぼ思い出すんじゃななかろうか「週の真ん中水曜日」そう、夕やけニャンニャンとんねるずのタカさんが言ってた言葉だ。夕やけニャンニャンが放送されていたのが85年から87年なのでボクが11くらいの記憶が30年以上経ってもなお未だに薄れることなく脳裏をかすめているのだ。それくらい当時の思い出は色褪せることもなく残っている。当時はネットの環境もなければ、当然SNSなんてない時代なのでテレビが圧倒的だった。今は圧倒的なメディアがない代わりに、多種多様なメディアがそぞれ小分けにされたパイを分け合い、奪い合っている。パイなので麻雀牌で例えればわかりやすいかもしれない。牌の数は136枚(マンズ、ピンズ、ソウズ1〜9各4枚、東南西北白発中各4枚)。テレビ黄金時代が4人打ち麻雀だとしたら136枚の牌の奪い合いで役を作っていたが、テレビ、ラジオ(radikoYouTube、ニコ動、NetflixAmazonプライム・ビデオなど配信系、スマホのアプリやなんだと、耳目を奪い時間を取られるモノに溢れている今は一体何人で卓を囲み牌を奪い合っているんだろうか。もしかしたら対子(同じ柄3枚)をつくるのでさえヒーヒー言ってるかもしれない。そんな状況では大半が共感する出来事は事欠くようになり、みなが蚊帳の外。しかし共感する限られた人たちの密度は増し、色濃くなり、やがて排他的になってしまってはいないだろうか。多様性を認めようという動きが強まる背景は、裏を返せばそもそもが認めていないからであって、多様であれば言わずもがななのではとさえ思う。知らない世界の話はググればすぐ分かる事でも、知らないで片付けて知ろうともしない。知らないことの方が圧倒的に多いんだから、まだまだ知る事ができると好奇心旺盛にググり倒す人でありたいとおもうような水曜日。

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する事が無くて考えちゃうよね。逆にする事があれば考える間も無くって感じで思考停止してるんだろうけど。

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