いらっしゃい、店長ですみません。

2018年5月5日より新高円寺にオープンした水道橋博士のお店「はかせのみせ」の店長日記。

克服を告白〜落伍者から落語家へ

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1.克服を告白

ボクはギャンブル依存症でした。これを書いている今日(2月8日)明確にこれは克服できたと感じる出来事があったので、同じ悩みを持つ方にぜひ克服の参考にしていただければと思い、全てを曝け出そうと思います。とはいえ重たい話ですが重たくならないよう面白おかしく、ってかオカルトちっくに書いていますので、気楽に読んでいただければと思います。

まずギャンブル依存症だったと曝け出す決心と、克服出来た事に大きく関わる書籍と執筆者、映画、そしてキョンキョンに最大の感謝の気持ちを伝えたいと思います。キョンキョンが誕生日前に不倫してましたとブログにしていたから、ボクも誕生日前に(2月10日が誕生日)同じように晒そうと決心しました。また何の本、映画に影響されたのかは本文に出てきますし、巻末にアマゾンのリンクを貼り付けておきますのでぜひご覧いただければと思います。

2.ダビスタに始まりディープの引退を機に

これまでも幾度となくギャンル依存から克服したり、再発してはの繰り返しでした。最初はダビスタをしてて、実際に馬券を買ってみたくなったという単純な入り口で競馬にハマり、気がつけば土日は朝からずっと競馬専門チャンネルグリーンチャンネルを見てはネット投票をしてました。当時はまだ稼ぎもあったので、深刻ではあったにせよ、金銭的にはまだ大丈夫なレベルだと思っていたのは、今にして思えば完全に麻痺してました。当然仕事中でも結果が気になり携帯で確認したりなんて週末もありました。土日は口を開けば馬の事ばかりだったように思います。競馬の話で盛り上がる事もあったのですが、それにしても高い勉強代です。毎週土日に2万円くらいは突っ込んで、たま〜に大きく当たったりもするんですが、基本負けてばかり。あげく3連単の導入でちっとも当たらなくなったのと、ディープインパクトの引退ですっかりやらなくなり止めました。

その後かなり貧困してどうにかなれと握り締めた600円つってもネット投票だけど、3連単の3頭BOXで14万当たり、その月の家賃がなんとか払えた事もあったり、首の皮一枚でなんとかなってた時期もありました。今は日曜のメイン1レースだけ金額を2400円(3連単4頭BOXたまにお金に余裕のある時は5頭BOX6000円)と決めてチョロっとしてします。しかしこれではまだ完全に克服できたとはいえませんが、リハビリということで。(それがアカンという話でもあるんだが)

しかしこの甘えが実は依存症のコア、核の部分なんじゃないかと思うのです。これぐらいならいいか、大丈夫かというのがインフレを起こして歯止めがきかなくなるのがギャンブル依存症なんだから。しかし今の所競馬はこの決まりを守って楽しんでいます。それはあれだけ競艇にどっぷりだった蛭子能収さんがその著書『笑われる勇気』の中で、奥さんに言われた競艇代を守っているからってのも大いに影響されています。

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3.出玉泥棒を捕まえて我にかえる

次いで競馬と同時期にパチンコにもハマっていました。競馬が終わればその負けをパチンコで取り戻そうと。始めた時ってなぜか勝てるんですよね。だいたい競馬の負けをパチンコで補填してたように思います。が、しだいに土日だけじゃなく平日もするようになって、そうなると勝ちも負けもありません。パチンコ屋にお金を預けて、次の日引き出して、また次の日預けての泥沼化。結果預ける金額がだんだんと増えていくハメに。

ある日梅田のパチンコ屋でめちゃくちゃ出してた時に、閉店間際に店員さんが積んでたドル箱を先にいくつか集計して、そのレシートをポケットに入れたまま、『パチンコ打ち上げ花火』をまだ打ち続けていました。フとポケットを引っ張られる感覚があったので見ると、そのレシートを掴み取り逃げる泥棒を捕まえたことがあったんですが、あの事件をきっかけにすっかりパチンコは止めてしまいました。

その犯人の裁判も傍聴しに行き、あぁはなりたくないと痛烈に思ったからだと思います。聞けば同じ手口の常習犯で、まだ執行猶予中だったそうで、裁判所で傍聴してるのはボクの他はおそらく弁護士見習いみたいな人しかいなくて、身内らしき人は誰もいなくて、裁判自体も淡々と訴状の朗読のみでとても寂しいものでした。

ギャンブル依存症の恐ろしいところはそうした犯罪を犯さない限り、強制的に留置所なり刑務所に入って矯正されないという問題もあります。中には家族や周りの人からワンネスグループなど依存症の相談施設に行くこともあるとは思いますが、なかなか「俺は大丈夫だ」と自覚をしてても症状は悪化するばかりです。薬物だったら逮捕されれば強制的に隔離されるからいいなと思うほど、ギャンブル依存症というのは自制の効かない心の病なんです。

4.話ができれば

ボクの大好きな蛭子さんもギャンブルをしててあんな感じだから、ボクもしてて当然と思ってたんですが、依存症というのはあの人もしてるしと、責任を他人のせいにして自分は何も悪くない、自分だけがしてるんじゃないし、隣の台にも同じような人がいるし、その隣の台の人はもっと負けてるしあの人よりマシだと、責任の所在を他人にしている事が多いのです。いくら他人のせいにしたところで、失った時間とお金までも他人のモノにしてては意味がありません。しかしこんな分かりきったことは散々方々で言われているし、少し『ギャンブル依存症』とググればすぐに出てきますが、どれだけ言われようとも自分が気がつかないと耳に入ってこないのです。ではどうしたら気がつくのか、気がつけるのかというのが解決の糸口になります。これには個人差しかないので、一概に言えないのですが、ボクはこうして克服できましたという、そういう事例の一つとしてここに残しておきたいと思います。ほぼオカルトですが。

ボクを含めギャンブル依存症になってしまう人は孤独な人が多い気がします。(あとM気質な人は要注意!)止めたいと思っていても本当に止められないし、1日や2日、1週間と止めたとしても持続できないのです。ガマンしたからいいかと自分を甘やかせてしまうのです。またギャンブルの楽しみも悩みも誰にも相談する事なく、一人楽しんだり、悩んでいる人が多いように思います。特にパチンコ、パチスロは台と向き合ってる以外はよその台の挙動を見るくらいで、人との関わりを極端に避けた状況だから。競馬や公営ギャンブルだと同じ馬やボートなどを見て一喜一憂する分、隣の人との会話も生まれやすいから、まだ人として健全な気がします。現に昔小倉へ競馬旅行をさんちゃんと、古高くんとした時はみんなオケラになったけど楽しかったな。

しかしパチンコ、パチスロは友達同士で連れ立って行っても、完全に孤独な作業の繰り返しなのと、隣の台がそもそもライバルでもあるので、どんどん視野が狭くなるばかりで、のめり込んでしまいます。打ち方教えてもらったり、台の攻略ポイントやお店の傾向なんかを聞き出して、お客さん同士、仲間としてお店と対峙すればいいんですが、なかなかそうもいきません。だってその隣の台が出てたら自分の台は出ないんじゃないかという疑心暗鬼にさえかられてしまうから。

パチンコの話でもできる人がいればまだ救われるチャンスがありそうですが、理解のない人の全否定を聞かされては話す気にもならなくなり、やっぱり後ろめたさもあって話したがらない人の方が多いんじゃなかろうか。話さないからますます孤独な作業に没頭してしまいます。薄々でも気がついたら話を聞いてあげて欲しいと思います。なんだったらボクが話を聞きますよ。

椿鬼奴さんや和田アキ子さん、中村玉緒さん、キャプテン渡辺さんなど、堂々と公言できる人は強い人です。話しぶりを見てても本当に楽しそうに話す姿はいくら負けてても幸せに映ります。本人は気が気じゃないかもしれないけれど、結果笑い話にできるのはやっぱり強いですよ。その結果キャプテン渡辺さんなんかは仕事になっているんだから。

だから身の回りにそういう人がいたら話を聞いてあげられると、依存症のリスクを少しでも軽減できるとは思うんだけど、まぁ話し出す人は滅多にいないのが現状です。止めなという話をするんじゃなくて、楽しそうに話す話を聞いてあげてほしいと思います。話すうちに自分が何を言っているのかちょっとずつでも気づいて我にかえりますから。抱え込んじゃうのが一番ヤバイ状態だと思います。

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5.落伍者から落語家へ

5-1.寝たら忘れる

そしてパチスロです。これが一番ヒドイ依存症でした。東京へ出て来てすぐにその症状が爆発してたので、かれこれ10年になります。何度か止めれてる時期はあったんですが、なかなか克服できず、止めようと思っても止められず症状は日増しにひどくなっていました。時には幻聴や幻覚も見ることもありました。ジャグラーのあのガッコ!と光る音と光の幻を見ることもありました。もうここまでで十分落伍者です。楽しんでいた時はまだ救いようがあったんですが、お金というモノに対してなぜお金が必要なのか、それを手にいれる目的と手段とを見失い、勝ったからとそれを活かすことができずにまたギャンブルの種銭にするという繰り返しになってしまっていました。一時期は負け過ぎてどこで首を吊ろうかと、首が吊れそうな場所を探してさまよい歩いていた時期もあったほどに。家には常に首吊り用に出来るなとロープも用意してたほどです。負けがこんで自暴自棄になったり、ただただ天井を見つめて動けない日々もありました。

相当大事にしてた貴重な本をまんだらけに持ち込んでは種銭を作って全て溶かしてしまう日もありました。そんなことをしていたら自分の持ってた本やモノの価値が分かるようになったのは後にメルカリで十分活かされることになるんですが。それでもなぜかなんとか食いつないでこれていたんです。不思議となんとかなっていたので、あまり深く考えることはなく。今までなんとかなってたんだから、これからだってなんとかなると。事実なんとかなっていたし。しかしのちに気がつくんです、なぜなんとかなっていたのかと。

人に言われてもなかなか自覚しないし、第一、自分で気づかない限り止められないのがギャンブル依存症の恐ろしいトコなんです。しかもボクは根が楽天家で寝れば忘れてしまうので、日が明ければまたそそくさとパチンコ屋へ向かう日々が続いていました。

5-2.自分にウソをつく大義名分という大それた言い訳

最初はパチンコもパチスロもその液晶演出が仕事の参考になるという大義名分の下、楽しんで勉強しているつもりでした。確かにあの演出はドキドキするし、楽しませるポイントをうまく突いてくるので、参考にはなるんです。事実ああした映像は名だたるクリエイターが手がけていたりもするんですから。

いつ頃か仕事が忙しくなり時間が無いのと、お金も困る事も無く安定してた時期は全くしなくても平気になり、もう大丈夫だと自分でも思っていたんです。その根拠は禁煙に成功しているから、タバコを辞めれてるぐらいなんだから、パチスロはもう辞めれたと思ってたんです。昨年の6月くらいまで。

ちなみに禁煙できた理由は、新幹線のホームの端っこまで歩かされて、なんでこんな虐げられてんだ?どこいっても喫煙所がなく、吸える場所を探すストレスと吸えないストレスだったら全然場所を探すストレスの方がデカイぞと思ったらもう吸うのがバカバカしくなってしまい、すんなりやめました。

昨年の6月頃時間を持て余してフラりと久しぶりに時間つぶしにパチンコ屋へ入ったのが間違いでした。たまたま勝てたのをいいことに、しばらくはいわゆる5時からスタイルで夕方良さげな台を物色して2~3000円でジャグラーという機種で勝負してダメなら帰るという日が続きました。このスタイルは功を成し勝つことが多かったので、調子に乗って昨日の勝ち分を朝から勝負に出るという暴挙に出た頃から完全に歯車が食い違ってしまいました。たまには勝てる日もあるけど、負けが続いてどうにもならなくなってくるんです。

久しぶりに会った人に「痩せたね」とよく言われる時期があったんですが、そりゃ当然です。種銭のためにメシをほとんど食っていない時期があったので、当然ガリガリになってました。幸いボクの仕事はあちこちでチョコチョコやらせてもらっているので毎月バラバラに入ってくるんです。月の初めと中頃と月末と。それでギリギリなんとか耐え忍びつつ。3日くらいなら水と100円のビスケットだけで大丈夫だと、遭難者ばりの食事メニューで次の給料日まで耐え凌ぐ日が10日ごとに訪れるんです。メルカリで昔買ったそこそこ値打ち物の品々を売っては種銭にしての日々が続いていました。もう完全にパチスロをするためだけにお金を工面してるようなもんでした。

5-3.ギャンブル依存者はよくジンクスを守る

ギャンブル依存症の人は意外に律儀というかマジメで、お金以外の自分の決め事を守っているんです。よく見るのはパチンコの海物語で熱い演出の魚群が出るように手でなぞったりするあぁいう行動です。ボクのジンクスというか、オカルト信仰なのかもしれないけれど、メインで打っていたスロットのジャグラーはGOGOランプが光れば当たりなので、GOGOランプを手やおしぼりで隠してチラ見するパターンや、第3停止ボタン後に光ることが多いので、ボタンをネジネジする行為など。ボクは第3停止ボタンを押した後レバーを叩く前にグーからパーに手を開いてGOGOランプが光るイメージをしたり、レバーを叩く瞬間に心の中でペカ!と叫んだり、よそ見をしてレバーを叩く、台の上部にある情報パネルのグラフや履歴をいじりながら打ったり、変則うちをしてみたり、お座り一発がよくあるので100ゲームごとにトイレに立ったり、スマホを見ながら打ったり、監視カメラを睨んだり。また占いごともいいことだけ信じるからタチが悪い。ある占いで順位が良くなくても別の順位のいい占いを信じたり、手相のギャンブル線をあると信じで手の平にシワを作ったり。といろんなジンクスを律儀に守るんです。意外に信心深いというかね、自分を疑わ無いんです。しかしこれだけしか使わないと決めた金額だけは守れないんです。

5-4.パルプフィクションのジュールス

大好きな映画でクエンティン・タランティーノ監督の『パルプフィクション』があるんですが、そこにサミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスが殺しの場にふさわしい詩だといつも聖書のエゼキエル書の25章17節を唱えていたんです。(実際は聖書の一節ではなく、1976年に公開された千葉真一の映画『ボディーガード牙』の序文から引用したものだそうです。)

心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。よって我は、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもって、我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ。そして、我が汝に復讐する時、汝は我が主である事を知るだろう。

そう言ってジュールスは引き金を引き殺めてきた。ある時殺しの現場でヒットマンが現れ銃弾が飛び交うんですが、不思議と一発も当たらなかった時にジュールスが気がつくのです。いつも殺しの現場にふさわしいからと読んでた詩の意味に。これをきっかけにジュールスはもう殺し屋家業から足を洗い、牧師になると言い出すんです。カッコいいなぁと。あ、当然映画だからで、これを殺しのシーンではなく、何か私生活に真似して取り入れたろと常々思っていたんです。そういうふさわしい言葉を探しながら。

5-5.吉田豪さんインタビューの角川春樹さん

で昨年末、吉田豪さんの『続・人間コク宝』(2007年刊行)という豪さんが会いたかった人にインタビューをするという企画の単行本を読んでいて、その中に角川春樹さんが神仏の世界を超えた体験をハッキリと自覚した!ということが書かれていたのです。以下引用。

角川 一番最初は34歳かな? 俺、野性号2世っていう古代船を復元してフィリピンから鹿児島まで航海したんだよ。そのときにバダン島という島に寄ろうとしたら、出た日にマストが折れて黒潮の反流に乗ったためにいくらやっても進まないわけだ。で、食料も水も尽きて今日で最後という日に、俺はお経を上げてから怒鳴ったんだよね。

「我は神なり、神は我なり、神、我とともにあり!」

ってそれで食料も水も全部飲んじゃえ、と。ヤケクソだから。

KT(20年ぶりに再会した娘) もう後先は考えないで(笑)。

角川 そしたら、船がバダン島に近づいてんだよ!そのとき頭の中で映画『ロッキー』のテーマが流れてきたの。俺は自然現象を打ち破った。自然現象なんかにナメられてたまるか、と。

これを読んで、ホントにスゲ〜と思ってボクはこの言葉を、パチスロを打つときに唱えるようになったんです。レバーを叩く瞬間にこの言葉を唱えて打つと不思議とGOGOランプが光るのです。これでボクは角川さんのように神仏の世界に入ったと思い上がるんです。しかし当然それは長く続くことはなく、まぁ毎回そんなことをしれば、確率的に低設定でも170分の1回で当たるわけですから、1万円もあれば1〜2回は光ってました。しかし続くことはなく負け続けるんですが、それでも不思議とギリギリ生活は保てているんです。家賃は真っ先に入れて食費はまぁ水とビスケットで凌いだりと。そしてまた次の入金があればすぐに出かけては浮き沈みしつつの繰り返しで。

それを面白おかしくバカ話として消化できれば、それはそれで価値のある行動だとは思うんだけど、ボクはホントに誰に言うでもなく、ただただひた隠しに隠して。隠しきれていなくとも、トボけてて、どうしようもなかったです。一日中パチンコ屋にいるから当然服はヤニ臭くなるし、そりゃどっかでバレてるだろうと思っても言わない。本当にしらを切り続けていた。

だいたい4日で6〜7万負けてはその月は死んだような生活を繰り返していましたが、本当に不思議とやっていけてたんです。(このあたりからオカルト入ってきますよ!)月に6万もあればあちこちの借金も返済できるのに、それでもやめない、完全に狂ってるんです。分かっててもやめられないんです。

5-6.藝人春秋2と芝浜

年末に水道橋博士さんの藝人春秋2も読んでおりました。最後のエピソードが芝浜で、最後のジェダイスターウォーズで。この芝浜という噺にボクはめっぽう弱いのです。いい噺で、最後のオチも見事で。年末の噺で有名な芝浜と並んでもう一つ、文七元結という噺があります。メルマ旬報のボクの連載でもチラリと触れておりましたが、酒呑みではないボクは博打打ちの噺、文七元結も響くんです。腕はいいが博打好きってまさにオレのことじゃん!みたいに。

そんな水道橋博士さんとボクの直接の付き合いが始まったのが2013年8月に高円寺で個展を開いた時でした。ツイッター上でのやり取りは何度かあったんですが、初めてお会いして作品に対して照れるななどありがたいお言葉を数々頂きました。次の日すぐに電話があり、ピンポンバーってのを思いついたからやらない?と。パ紋をラケットに刷って、そのラケットをキープしておける卓球バーの構想でした。それから高円寺で物件を本当に毎日探していました。パ紋の書籍の対談でも書いてありますが半年くらいして、これはと思う物件を見つけたので、博士さんに連絡すると

「あ、もう熱が冷めたからゴメンネ」

と実現には至らなかったのですが、、、。当時はボクがとっとと動かないから業を煮やしてしまったんだという思いと、実際損益計算書なんかをマジメに作って計算しても、どうしても利益が見込めないなぁという思いとで心苦しかったです。

のちに知ることになるんですが、藝人春秋2の下巻、芝浜の章で博士さんが自身のうつ病を告白しているんですが、実はこの時期こそまさにその時だったのです。今にして思えばメールのレスポンスもだんだんと鈍くなってきて、週刊物件情報として毎週のように新しく見つけた部件や、アイデアなどをメールしていたんですが、反応がどんどん薄くなっていっているのを感じていました。まさかあんな状態だったとはつゆ知らず。

そんな大告白を読み、ボクも競馬をしていることはツイートしたりして公表していたんですが、ことパチスロのことに至ってはほぼ誰にも言わず、誰かと一緒にでかけるでもなく、全くのスタンドプレイでした。当然後ろめたいという気持ちもあるし、ギャンブル依存症だという自覚もあるのですが、治せない。そんな苦しい日々でしたが、本書を読み、また先日のキョンキョンの告白、もう少し前の小室哲哉さんの告白に背中を押され、ボクも元芸人として「晒す」のだ。と。

5-7.我は神なり、神は我なり、神、我とともにあり!

それでも先日まで毎日のようにパチスロに行ってました。打つ機種は決まってジャグラーが多かったんですが、角川さんのあの言葉を復唱しているうちに、ジャグラーなんて道化の機種よりも、神の機種、ゴッドがあるんだから、ゴッドで唱えてみたらいいんじゃないかという思いに至るのです。完全に狂ってます。

ここで簡単に機種の違いを説明しておきますが、ジャグラーという機種はAタイプと言われる機種で、ボーナスのみでメダルを増やすタイプ。だいたい1000円で30ゲームくらい回せるんですが、平均して130〜170ゲームで当たります。まぁ波はあるのでハマれば5~600ゲームハマったりもしますが。概算で4~5千円で大当たりのBIGが引ければ勝てる計算なんですが、まぁ勝ってるところで止められないのが依存者です。めちゃくちゃ勝てて3000枚(6万円くらい)、だいたい1500〜2000枚(3万円〜4万円)出れば大したもんです。そんなに勝つことはまぁありませんが。

一方ゴッドという機種はARTという部類の機種で、一言でなかなか説明が難しいのですが、小さな当たりを連続して増やす感覚です。ゴッドは小さくない当たりが続くんですが、それ相応に投資がかさむという。1000円で20ゲームしか回せず、しかも当るのは平均して250〜500ゲームで、強烈な連チャン性能がウリで、大連チャンすればたとえ20000円かかっても平気でペイできる程の機種なんだけど、その深いハマり度合いはどれだけサイフに諭吉がいようともいとも簡単に飲み込んでくれます。薄い連チャンでも1500枚(3万円)くらい出たりするからそのギャンブル性は非常に高いのです。勝てる時は3~5000枚(6万円〜10万円)出たりする化け物です。神なのに。

それで半ばヤケクソになって朝からゴッドを「我は神なり、神は我なり、神、我とともにあり!」と唱えて打ってみました。初日は幸運にも7000円で当たり、30000円ほど勝ち携帯代を支払いました。

次の日も同じように朝からゴッドを今度は13000円で40000円ほど勝ち、水道代、電気代、ガス代の溜まってた2ヶ月分まとめて支払いました。さすがに3日も続かないだろうと思いつつも、2度あることは3度あると都合のいい解釈しかせず3日目もゴットに挑戦しました。2度あることは3度あって3日目は60000円ほど勝ちました。現金を持っててもどうせまた引き出せるのかも分からないパチンコ屋に預けてしまうのがオチだと、この日はPS4とモンハンを買いました。これはPS4でゲーム配信ができるんならそれでYouTuberになってやろうとか、また金欠になったらメルカリで売ればいいやと思っているところが本当に恐ろしい。

さて4日目です。すでにこの3日でここ最近の負債はチャラになっているので負けたところで、ふりだしに戻るだけだと浅ましい考えしかなく、もし4日目も勝てればもうゴットだけで生活できんじゃね?とギャンブル依存者によく見られる浅はかな夢を見るんです。そして打ち始めて13000円でフリーズを引いてしまうんです。このフリーズ演出というのが、8192分の1の確率なんですが、だいたい朝から閉店までブン回して80000回なので、確率通りに出ても1日に1度あるかどうか。まぁ確率通りに出てたら誰も負けないんだけどね。これで勝ちはほぼ確定ですよ。スグやめればね。で、GODゲームが始まってすぐにまたしてもこのプレミアGODを引くんです。2度もですよ。マジ神キターーーー!って感覚と、角川春樹イズムでオレもついに神道へと導かれたんだと思いましたね。

そこで思い出すんです、パルプフィクションのジュールスを。彼は神がかりな事件を機に、これまで殺人に相応しいと思って唱えてた詩を理解し、足を洗い牧師になると言い出すんです。じゃ、ジュールのマネごとをしていたボクはどうするんだ?と自問自答しながらゴットを打っていたんです。こんな神がかりなヒキを引き当て、4日も連続で勝ち続けている現状を考えたんです。本当にあの時のジュールスの気持ちが理解でき、ハッキリ自覚しましたよ。しかしそう簡単に答えはでず、ただ目の前の楽し時間を過ごしてゴッドを打っていると、これまたプレミア演出であるアメージング・グレイスが流れ出したんです。これが流れるとART5セット以上のストックがあるという。5セットでだいたい1500枚(3万円)プレミアムGOD2回で10セット、その途中でアメージング・グレースが流れたので、15セット(9万円!)以上は有ると。その次ゲームでもまたアメージング・グレイスが流れたんです。軽く10万円コースです。

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5-8.アメージング・グレイス

アメージング・グレースの歌詞の意味はその時はわからなかったんですが、打ちながら聞いているとなんだか開眼した気持ちになっていました。以下歌詞と意訳の引用

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

アメイジング・グレイス Amazing Grace 歌詞と日本語訳・試聴

打ちながらいくら位になるのかと思いつつハタと気付くんです。一体パチスロのゴールはどこなんだと。こんなことが当然毎日続くわけもなく、こんなに出したこともない。止めない限りまた同じような水とビスケットの毎日が続くだけなんじゃないかと。

ギャンブルを始めるきっかけの多くは楽してお金を得たいという単純な入り口で、次第にお金を得たいという目的が、お金を得る手段としてギャンブルをしだすようになってしまう。そこに目的はなく、あるのは盲目的な依存症状だった訳です。

やめたくてもやめれず、何となくギリギリで生活できてて、それでもギャンブルするお金もなんとかなってて。そしてこの日、アメージング・グレイスを聞いてこんなクズな生活をしてても生かされているんだと思った。生きているんじゃなくて、これは生かされているんだと。ボクにしか出来ない使命があって生かされていなければとうに首をくくってても不思議じゃない。それぐらいクズだった。ボクの使命ってなんなんだ?と思った時に、あもうパチスロをすることは無いなと確信した。これはタバコをやめた時に感じた感覚と全く同じで、確固たる自信がある。現にこのブログを書くのにゴッドの確率を調べるのにサイトを覗いてても、これまでならあぁ打ちたくなってきた!と基本、情報を入れないように避けていたことでも、細かに調べてもあそれぐらいの確率なら当るかな?なんて浅ましい考えに至っていない。ブログにこれを書くと決めたのは昨日ゴッドを打っている最中だった。だから証拠の写真や映像も残していた。それを見返したところで、またやりたいと思うことが本当にない。本当に時間がかかったけどやっと気がつけた。ところが、また寝たら忘れるんじゃないかという恐怖はあったけれど、明けてこのブログを書いている時点ではそんな気は全く無いが、いつまた再発するか分から無いので、晒す事に決めた。

6.最後のジェダイ

さて、ジュールスは牧師になると足を洗ったけれど、ボクはどうするか。昨年秋ぐらいからYouTubeでですが落語を良く聞くようになっていて、年末に見たスターウォーズ 最後のジェダイのストーリーを落語にしたら面白いんじゃないかと、落語スターウォーズを考えていたんです。ネタはもう出来ているんですが、全然稽古をしていないのでまだお見せできる段階ではないんですが、このパターンでスターウォーズの各エピソードや、それこそパルプフィクションを落語にしたらめちゃくちゃ面白い。どの映画も登場人物が多く、場面も時間もあちこちしているけれど、主人公をしぼってその人目線の噺で映画を語ったら、新しい二次創作になって面白いんじゃないかと思って作ってみたら、やっぱり面白い。一応ググってみたんだけど、見当たらなかっただけですでにやられている落語家さんがいるかもしれませんが、これはなんだか新しい試みなんじゃないかと思ってたんです。

そうです、ジュールスは牧師になったけど、ボクはギャンブル依存症だった落伍者から落語家になるんです!って事でYouTubeにその模様を近々アップしますのでお楽しみにぃ〜!

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7.お金の使い道

で、一体いくらになったのか気になるでしょ。最終的に換金した金額は23,7000円でした。枚数にして12,493枚。万枚超えですよ。この言葉の重みはパチスロをする人には伝わるとは思いますが、まぁ無いですよこんな事。それこそ言葉に引っ張られてでた神がかりな珍事です。言葉によって行動が導かれる言霊ってあるんだなぁと思ってはいましたが、まさかここまでとは。同じくらいの金額の宝くじに当るくらいの確率じゃないかな。もう本当にキセキだと思ったし、アメージング・グレイスだし。そのお金でやっと新しいパソコンを買います。ずっとキーボードが壊れててノートパソコンなのにキーボードも持ち歩いていた日々ともおさらばです。しかしまだ欲しい機種を買うには若干足ら無いので、そうだな、仮想通貨で増やして買おうかな。チャンチャン

8.まとめ

このブログが同じ悩みを抱えている人の励みになればと思いますが、これを見て打ちたくなっては本末転倒ですが、渦中の人にしてみたら刺激が強い内容かもしれません。吉田豪さんの『続・人間コク宝」のあとがきに代えてに

「〜世の中は簡単に変えられないけれど、人の考え方や人の見方を変えることはできる。」

とあります。まさにボクは角川春樹さんのインタビューを読んで変わりました。かなりオカルトめいていますが、言葉を信じ抜いて招いた結果だと思っています。ささいな言葉で人は変われるんだと証明できるよう恥を忍んでここに記しておきたいと思います。

 

また、言葉に引っ張られるという意味では、好きなロック、忌野清志郎さんや、斉藤和義さんの歌を聞く、口ずさむこともその歌詞の意味する言葉に行動が引っ張られる気もしています。何か不安だったり、また再発してしまうんじゃないかという危うさもある心の病気ですから、再発しないように心にロックを響かせるのと、間違った行動をしないようにロック(鍵)をしております。

 

1日遅れでアップしました、落語STAR WARS 稽古11


落語STAR WARS 稽古1

 


落語STAR WARS 最後のジェダイ 稽古2


落語STAR WARS 最後のジェダイ 稽古3

 

ジュールスのあのシーンは必見!きっとマネたくなる

パルプ・フィクション [Blu-ray]

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角川春樹さん以外もスゴイ話ばかりだよ。

続・人間コク宝

続・人間コク宝

 

 

上下巻でぜひ巧みな言葉遣いで引用の韻要。ノンフィクションを面白おかしく突きつける。最後の芝浜で心も行動も突き動かされます。

 

この人にずっと憧れてたんだけど悪いトコばかり見習ってたので反面教師としてね。

笑われる勇気

笑われる勇気

 

 

おまけのアメージング・グレイス

www.youtube.com